最近、映画「王と生きる男」が私たちの社会に投げかける余韻は非常に深い。王位から追われた端宗はもはや統治者ではないが、彼を守る村長オム・フンドにとって、彼は依然として「王」であり、同時に子どものような存在でもある。この映画は、予測できない存在をそばで見守りながら、その決断の結果を全面的に引き受けなければならない人生の重みを淡々と描いている。この独特な緊張感と責任の構図は、今日の企業現場で「AIエージェント」と向き合う私たちの姿と驚くほど似ている。
現在、産業界はAIエージェントの熱狂に包まれている。自社だけが取り残されるのではないかという不安、いわゆるFOMOさえ感じられる状況だ。しかし、30年以上にわたりIT、クラウド、エンタープライズソフトウェアの現場を見てきた筆者の視点からすれば、今必要なのは流行を追うスピードではない。AIエージェントとは何かを正確に理解し、企業の業務にどのように適用するのか、そして企業がそれを扱う準備ができているのかを改めて見直す必要があると考える。
生成AI、特に大規模言語モデル(LLM)は、AIがまるで思考し、会話する能力を持っているかのように見せている。ここで「持っているかのように」と表現したのは、現在のモデルが人間のように知識を学習し、それを基に問題を推論しているように見える一方で、実際には自ら思考しているのか、それとも確率的に類似データを組み合わせているのか、その境界にあるからである。AIエージェントはまさにこの曖昧な境界の上で、「答える存在」から「行動する存在」へと拡張された技術である。
一般的にAIエージェントは、ユーザーの要求を受け取り、意図を把握し、ツール(MCPサーバーなど)を活用して実行計画を立て、動作する。観測(Observe)、推論(Think)、判断(Decide)、実行(Act)の4つの段階を経て業務を遂行する。ここで企業のリーダーが注目すべきポイントは「実行」である。
実行はすなわち権限を意味し、その権限は必ず責任につながるからである。個人が利用するパブリックAIや商用AIは、これまで情報提供の分野で主導的役割を果たしてきた検索サービスと似た側面を持つ。多少の不正確さがあっても、利便性が高ければ問題にならない。しかし、金融・公共・企業環境におけるAIの判断は、監査や規制の領域に属する。したがって、エージェントを導入する前に、私たちは自らが負担できる「委任の範囲」をまず設定しなければならない。
筆者は長年にわたり、エンタープライズソフトウェア開発、メインフレームのモダナイゼーション、クラウド転換を主導してきた。過去のシステムがあらかじめ定められたルールに従って動く「決定論的」な世界であったとすれば、AIエージェントが主導する環境は「確率論的」な世界である。特に企業の中核資産やデータを扱う領域では、「ソブリンAI(Sovereign AI)」の観点も必要となる。企業自らがAIの主権を持ち、統制できてこそ、エージェントに重要な業務を任せることができる。これは、オム・フンドが端宗という存在を村の秩序の中で守ろうとした姿勢と通じるものである。
ソフトウェア開発の現場でも、AIエージェントの活用、すなわちコードを学習したLLMの活用は飛躍的に増加している。AIはコードを自動生成し、自らテストを行い、バグを修正する段階にまで到達している。ここで筆者は、これまで長く強調してきた「シフトレフト(Shift Left)」戦略を改めて想起する。製品品質のためのテストをできるだけ開発初期に前倒しするように、AIが生成したコードも早期に検証することで、開発者の時間を節約しつつ思考の幅を広げることができる。一方で、企業が「完成型業務ソフトウェア」(オンプレミスおよびSaaSを含む既成のエンタープライズソフトウェア)に代わり、AIエージェントが都度生成・実行する「生成型業務ソフトウェア」を全面的に信頼できるかどうかは、依然として不透明である。
例えば、エージェントがERPシステムのデータを比較分析しレポートを作成する程度であれば歓迎されるだろう。しかし、エージェントが自らデータを決定し、各拠点に送るレポートの内容まで変更してしまう場合、それは技術の問題を超え、「業務委任と信頼」の領域に入ることになる。結局のところ、現在の流れは、AIエージェントが既存のソフトウェアを完全に代替するのではなく、ソフトウェア製品の強力な「機能」として組み込まれ、ユーザーを支援する形が主流になると考えられる。
結局、AIエージェントは万能の解決策でもなければ、短期的な流行でもない。エンタープライズ環境において、エージェントは組織が対応可能な範囲でのみ権限を付与し、その結果に対して明確な責任体制を持たなければならない存在である。現在、CIOやCTOが下すべき判断は、「AIエージェントを使うかどうか」という単なる技術的選択ではない。むしろ、「自社はどのようなエージェントと共に生きる準備ができているのか」という問いである。「とりあえず導入する」という目標だけを掲げることは、王が誰であるかも分からないまま、村の問題を解決するために王を迎え入れることと変わらない。
映画の中でオム・フンドは王を統制しようとはしなかったが、その存在がもたらす結果を黙って自らの人生で引き受けた。準備が整った組織にとって、AIエージェントは代替不可能な競争力となるだろう。一方で、準備が整っていない組織にとっては、AIエージェントは制御が難しく、危険な統治者となり得る。
*本記事は、2026年3月30日に電子新聞に掲載された、TmaxSoft 研究本部長(副社長)パク・キウンの寄稿文を日本語に翻訳したものです。
原文の寄稿記事はこちらをご参照ください。https://www.etnews.com/20260330000434